Wikileaksとハッカーの理念と情報経済学
弊社の扱っている情報分析というのは、
専門的には「インテリジェンス」というものです。
これは、古典的にはスパイ活動がイメージされるもの。
人的に情報を持っている人に接触して、
重要情報を引き出していくのが古典的なインテリジェンスの在り方でした。
逆に告発的な行為をする場合、
つまり情報を持っている側が誰かに公表したい場合もあります。
この場合は、実に困難が伴います。
企業や国を裏切ったという不名誉と身の危険、経済的な不利益を考慮しないといけません。
ゆえにマスコミに身の安全と金銭的な要求をしながら、
これを提供するということが良く見られました。
しかし、リスクと報酬が見合わない場合もおおく、有効に情報が伝達されないケースもあります。
情報を持っていても公表することに困難があったのです。
そうした古典的なインテリジェンスの世界は、
インターネットの登場で変わってきました。
重要情報を直接的に一般人が得て、
そして公表するということが可能になったのです。
インターネット黎明期に登場した
伝説的で英雄的な存在「ハッカー」。
時代が変わるにつれて、ハッカーは犯罪行為的な破壊的な存在として
扱われるようになってきました。
しかし、過去ではそういった反社会的な存在は「クラッカー」といわれ区別され、
「ハッカー」と呼ばれる人たちは英雄だったのです。
情報はすべての人に共有されるべきである。
情報が共有されることで人々は正しい意思決定ができる。
そして社会全体の発展が促される。
その理念に基づけば、
驚異的な技術で困難とリスクに立ち向かい、
政治や企業の秘密を暴いていくハッカーは、
ヒーローだったのです。
政治機構や企業組織の秘密主義は昔から変わっていません。
経済学の基本的な状態では、
経済が完全に効率的に機能するためには、
情報がすべての人に行き渡っていること、
つまり情報格差もなく、知られていない情報もないことが必要です。
したがって、経済的独占、あるいは不平等の源のひとつとして、
情報格差があることになります。
逆に言えば、企業はこの情報格差をこそ利益の源泉のひとつとできます。
ゆえに情報格差をなくすことは、
「搾取」されている側の当然の欲求なのです。
情報をめぐる企業と消費者の対立は、
利害そのものの根源的な争いなのです。
政治でも同じことです。
以前にあげた(かもしれない)「独立外交官」でも少し描かれていますが、
機密情報というのは政治家や官僚の利益の源泉なのです。
ただし、これは機密情報の内容が利益の源泉ではないのです。
機密情報がある、ということ、
「コンフィデンシャル」な情報を存在させることそのものが利益、
というようり権益の源泉になります。
これにはちょっと説明を要しますね。
上に書いたとおりに、人々はすべての情報を得てこそ、
はじめて正しい意思決定ができるのです。
逆に言えば、
市民はすべての情報を得ていないのだから、
正しい意思決定はできないのだ、
ということになります。
ゆえに政治家や官僚は、最善の意思決定かどうかはわからないが、
少なくとも「情報が限定されている市民」よりは、
正しい判断ができている、という主張ができます。
そして自分を一般の市民をよりも上位におくことができる。
尊敬を集め、自分たちの行動を「国益」にかなうとして、
権力の自己正当化を図ることができるのです。
だから、Wikileaks は困る。
機密情報「コンフィデンシャル」が多くの国民や協力者、
そして国家の安全を損なうというのが、
政治家や官僚の言い分ですが、
本質的にはまったく違う。
自分たちが権力者として市民の上に胡坐をかいていられる
理由が失われてしまうからです。
単純にいえば、偉そうにしていられなくなるのです。
冒頭に書いたとおり、インテリジェンスの基本は人的なもの。
HUMINTといいますが、人的諜報活動が中心的でした。
ですが、これには相応のコストとリスクがあります。
協力者を探し、保護し、報酬を与える。
最近ではロシアのスパイの騒動がありましたが、
あれが冷戦期で起こっていたらどういうことになるでしょうか。
映画で描かれていたような非常に危険な世界が日常だったのです。
それにもかかわらず、決定的な情報はほとんど手に入らない。
そういうハイリスクでリターンはそれほどない、
それが古典的なインテリジェンスによる機密情報の引き出し方でした。
外交文書の情報であれば、たとえば外交官が駐在している国の首相や権力者、
財界人と個人的に親しくなり、そこから情報を得るといったことも含まれます。
もちろん地道な調査や分析、研究も含まれます。
ちゃんとした調査研究は人的コストや時間コストが相当かかりますから、
あんまり無料で流されると個人的には厳しいですけど(笑
ただ、政府や企業が「何を研究しているか」という意図自体は重要な諜報対象項目になります。
「コンフィデンシャル」な情報はそれだけ手に入りにくいものだったので、
そうした情報を手に入れられる立場が「偉く」なるのです。
情報がないと正しい意思決定ができない。
けれども大事な情報は政府の重要ポジションにいないと手に入らない。
だから、一般市民は正しい意思決定ができないので、
そのたわごとに耳を貸す必要はない。
そして自分たちこそが真の国益を体現できる唯一の存在だと主張できる。
WikiLeaks はそうした政治の権力自己正当化構造を、
いっぺんに破壊する可能性を示すものです。
政治機構がそれに対抗する方法は主に二つ。
WikiLeaks を破滅に追い込むか、
あるいは「実は情報はアメリカの諜報機関が故意に流したものだ」
という陰謀論を仕立てて、すべて自分たちがコントロールしていることにしてしまう。
いずれにしても、
「機密情報」をつくる欲求は、利益を得たい側に構造的に存在します。
その情報が正しいか正しくないかはどうでもいいのです。
「機密」であること自体が必要なのです。
一方で、市民や消費者はその「機密」を「機密」でなくすことに、
また欲求を持ちます。
ただしい情報かどうかはこちらもさておいて、
とにかく「機密」であることそのものに構造的な拒否反応を示します。
本来的にはマスコミがその介在をするべき存在でした。
ところがマスコミは今やその力を失いつつあります。
なぜなら、一般的な情報の発信と流布はインターネットで可能です。
さらに今回のWikileaks騒動や、前回の船舶衝突画像の流出などでは、
それを転電するだけの存在へと成り下がってしまいました。
ゆえに中国で行われているように、情報統制下での
プロパガンダ機関としてしか有効な使い道がなくなりつつあります。
機密を非機密化する、コンフィデンシャルをデコンフィデンシャライズする、
とでもいいましょうか、
そういう欲求がメディアの存在理由であったことがわかります。
ゆえに、自身を「第四の権力」化してしまったこと自体が、
すでに自己否定であり、そして現在の衰退へとつながっている、
というのはさすがに後付けの物語でしょうかね。
人々は、しかし、インターネットの普及と技術向上によって、
再度、非機密化構造を得ました。
この構造が衰退へと向かうのは、きっとインターネットが権力化しはじめたときです。
それがどういうことなのか、いまはちょっと想像できませんが。
「ハッカー」はクラッカーという反社会的存在へと認識を変えられることで、
一度封じ込められました。
同じようなことに再度、権力側が成功するかどうか、
それが現在の注目点でしょうかね。
そしてそれがインターネットの権力化へとつながらないことを願います。
専門的には「インテリジェンス」というものです。
これは、古典的にはスパイ活動がイメージされるもの。
人的に情報を持っている人に接触して、
重要情報を引き出していくのが古典的なインテリジェンスの在り方でした。
逆に告発的な行為をする場合、
つまり情報を持っている側が誰かに公表したい場合もあります。
この場合は、実に困難が伴います。
企業や国を裏切ったという不名誉と身の危険、経済的な不利益を考慮しないといけません。
ゆえにマスコミに身の安全と金銭的な要求をしながら、
これを提供するということが良く見られました。
しかし、リスクと報酬が見合わない場合もおおく、有効に情報が伝達されないケースもあります。
情報を持っていても公表することに困難があったのです。
そうした古典的なインテリジェンスの世界は、
インターネットの登場で変わってきました。
重要情報を直接的に一般人が得て、
そして公表するということが可能になったのです。
インターネット黎明期に登場した
伝説的で英雄的な存在「ハッカー」。
時代が変わるにつれて、ハッカーは犯罪行為的な破壊的な存在として
扱われるようになってきました。
しかし、過去ではそういった反社会的な存在は「クラッカー」といわれ区別され、
「ハッカー」と呼ばれる人たちは英雄だったのです。
情報はすべての人に共有されるべきである。
情報が共有されることで人々は正しい意思決定ができる。
そして社会全体の発展が促される。
その理念に基づけば、
驚異的な技術で困難とリスクに立ち向かい、
政治や企業の秘密を暴いていくハッカーは、
ヒーローだったのです。
政治機構や企業組織の秘密主義は昔から変わっていません。
経済学の基本的な状態では、
経済が完全に効率的に機能するためには、
情報がすべての人に行き渡っていること、
つまり情報格差もなく、知られていない情報もないことが必要です。
したがって、経済的独占、あるいは不平等の源のひとつとして、
情報格差があることになります。
逆に言えば、企業はこの情報格差をこそ利益の源泉のひとつとできます。
ゆえに情報格差をなくすことは、
「搾取」されている側の当然の欲求なのです。
情報をめぐる企業と消費者の対立は、
利害そのものの根源的な争いなのです。
政治でも同じことです。
以前にあげた(かもしれない)「独立外交官」でも少し描かれていますが、
機密情報というのは政治家や官僚の利益の源泉なのです。
ただし、これは機密情報の内容が利益の源泉ではないのです。
機密情報がある、ということ、
「コンフィデンシャル」な情報を存在させることそのものが利益、
というようり権益の源泉になります。
これにはちょっと説明を要しますね。
上に書いたとおりに、人々はすべての情報を得てこそ、
はじめて正しい意思決定ができるのです。
逆に言えば、
市民はすべての情報を得ていないのだから、
正しい意思決定はできないのだ、
ということになります。
ゆえに政治家や官僚は、最善の意思決定かどうかはわからないが、
少なくとも「情報が限定されている市民」よりは、
正しい判断ができている、という主張ができます。
そして自分を一般の市民をよりも上位におくことができる。
尊敬を集め、自分たちの行動を「国益」にかなうとして、
権力の自己正当化を図ることができるのです。
だから、Wikileaks は困る。
機密情報「コンフィデンシャル」が多くの国民や協力者、
そして国家の安全を損なうというのが、
政治家や官僚の言い分ですが、
本質的にはまったく違う。
自分たちが権力者として市民の上に胡坐をかいていられる
理由が失われてしまうからです。
単純にいえば、偉そうにしていられなくなるのです。
冒頭に書いたとおり、インテリジェンスの基本は人的なもの。
HUMINTといいますが、人的諜報活動が中心的でした。
ですが、これには相応のコストとリスクがあります。
協力者を探し、保護し、報酬を与える。
最近ではロシアのスパイの騒動がありましたが、
あれが冷戦期で起こっていたらどういうことになるでしょうか。
映画で描かれていたような非常に危険な世界が日常だったのです。
それにもかかわらず、決定的な情報はほとんど手に入らない。
そういうハイリスクでリターンはそれほどない、
それが古典的なインテリジェンスによる機密情報の引き出し方でした。
外交文書の情報であれば、たとえば外交官が駐在している国の首相や権力者、
財界人と個人的に親しくなり、そこから情報を得るといったことも含まれます。
もちろん地道な調査や分析、研究も含まれます。
ちゃんとした調査研究は人的コストや時間コストが相当かかりますから、
あんまり無料で流されると個人的には厳しいですけど(笑
ただ、政府や企業が「何を研究しているか」という意図自体は重要な諜報対象項目になります。
「コンフィデンシャル」な情報はそれだけ手に入りにくいものだったので、
そうした情報を手に入れられる立場が「偉く」なるのです。
情報がないと正しい意思決定ができない。
けれども大事な情報は政府の重要ポジションにいないと手に入らない。
だから、一般市民は正しい意思決定ができないので、
そのたわごとに耳を貸す必要はない。
そして自分たちこそが真の国益を体現できる唯一の存在だと主張できる。
WikiLeaks はそうした政治の権力自己正当化構造を、
いっぺんに破壊する可能性を示すものです。
政治機構がそれに対抗する方法は主に二つ。
WikiLeaks を破滅に追い込むか、
あるいは「実は情報はアメリカの諜報機関が故意に流したものだ」
という陰謀論を仕立てて、すべて自分たちがコントロールしていることにしてしまう。
いずれにしても、
「機密情報」をつくる欲求は、利益を得たい側に構造的に存在します。
その情報が正しいか正しくないかはどうでもいいのです。
「機密」であること自体が必要なのです。
一方で、市民や消費者はその「機密」を「機密」でなくすことに、
また欲求を持ちます。
ただしい情報かどうかはこちらもさておいて、
とにかく「機密」であることそのものに構造的な拒否反応を示します。
本来的にはマスコミがその介在をするべき存在でした。
ところがマスコミは今やその力を失いつつあります。
なぜなら、一般的な情報の発信と流布はインターネットで可能です。
さらに今回のWikileaks騒動や、前回の船舶衝突画像の流出などでは、
それを転電するだけの存在へと成り下がってしまいました。
ゆえに中国で行われているように、情報統制下での
プロパガンダ機関としてしか有効な使い道がなくなりつつあります。
機密を非機密化する、コンフィデンシャルをデコンフィデンシャライズする、
とでもいいましょうか、
そういう欲求がメディアの存在理由であったことがわかります。
ゆえに、自身を「第四の権力」化してしまったこと自体が、
すでに自己否定であり、そして現在の衰退へとつながっている、
というのはさすがに後付けの物語でしょうかね。
人々は、しかし、インターネットの普及と技術向上によって、
再度、非機密化構造を得ました。
この構造が衰退へと向かうのは、きっとインターネットが権力化しはじめたときです。
それがどういうことなのか、いまはちょっと想像できませんが。
「ハッカー」はクラッカーという反社会的存在へと認識を変えられることで、
一度封じ込められました。
同じようなことに再度、権力側が成功するかどうか、
それが現在の注目点でしょうかね。
そしてそれがインターネットの権力化へとつながらないことを願います。
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